Mov.5 激闘

「――うッオオオオオオオオオオォッッッ!」

 激発したユキトは正面に飛び、左斜め上から襲うかぎ爪を紙一重でかわすと、目の高さ――鎧のような下腹部に再び光る鋼の一撃を叩き込んだ。爆発に似た衝撃がナックルダスターからガントレットを装着したこぶし、前腕――と響き、左肩に矢が突き刺さった小山のような巨体がうめきながら2,3歩後退する。

「どうだッ!」

 吠えるユキトの左から突風がぶつかり、鉄槌さながらのひづめが新幹線並みのスピードで襲いかかる。反射的に鋼の右前腕でガードしたユキトは吹っ飛んで倒木に背中を打ち付けたが、振り下ろされるかぎ爪を素早く横に避けて飛びのくと、正面と左右からゆらゆら間合いを狭める3体の巨獣に光を帯びる鋼の右こぶしを突き出した。強烈な蹴りを受けはしたが、ナックル・ガントレットにひびやゆがみは見当たらず、内部の右前腕も鈍い痛みが残っているくらいだった。

「バリアの強度も上がっているのか……よしッ!」

 ユキトは正面から伸びて飛んできた複数のかぎ爪を力任せにはじき、右から迫る暴走トラック顔負けの突進をかわすと、巨体の間をすり抜けて倒れている潤に駆け寄った。

「加賀美さんッ!」

「……し、斯波君……――あッ!」

 ひづめの怒涛――そして、助け起こした潤の叫びに振り返ると、かぎ爪で獲物を引き裂こうとするグリゴ・デオの潰れた鼻先を白い羽根の矢がかすめる。それは、ジョアンをキュア・ブレスで癒していた紗季が放ったものだった。

「――こいつッッ!」

 ひるんだモンスターの左脇腹に右フックをドンッと食らわせ、潤に下がるよう指示しながら左右の連打でユキトはたたみかけ――

「――ぅぼォッッ!」

 左脇腹に炸裂した衝撃が視界をひしゃげさせ、ひん曲がった体が一瞬宙に浮いてからおぼつかない足取りで横によろめき、腰が砕けたように崩れてドタッと尻もちをつく。左腹を押さえてあえぐユキトのまつ毛が瞬き、あふれる涙で濡れた。

「……ぐ、ぉお……――!」

 右と背後からのかぎ爪にブレザーごと肉をえぐられ、ひづめで腹を蹴り上げられたユキトはもんどりを打って踏み荒らされた下生えの上に叩き付けられた。グリゴ・デオたちは外側から矢や氷柱を飛ばす紗季と潤をアナコンダみたいに伸びた指でうるさそうにはじき、先程よりも俊敏な動きで三方から獲物をなぶる。

「――こいつら、本気を出してきたのか!――ぐォッ!」

 甲殻が固める右前腕にずたぼろの姿が払い飛ばされ、中程から無残に折れた木を背にする潤の前まで下生えを巻き添えにしながら転がる。

「斯波君!」

「……へ、平気だ、よ……」

 半ば意識もうろうとしたユキトは握った草を千切り、汗が滴った土に爪を食い込ませて煙のように立ち上がった。オーバーヒート気味の心肺が熱くあえぎ、視界が、五体が陽炎のように揺らめいて流動にさらわれそうになる。数歩後ろには傷付き、汚れた胸の前でマジックダガーの柄を握り締める潤、右前方には膝をついたままのジョアンと洋弓を構える紗季が小さく見え、空中ではワンが争いとは無縁に浮かんでいる。

「……パワーアップしたのに……!」

 扇状に広がって接近する3体にユキトは目を右往左往させ、仰いでワンにすがらせた。

『斯波ユキト、確かにあなたの戦闘スキルは一時的に上昇していますが、グリゴ・デオ3体相手は荷が重過ぎます』

「く……!」

 まだ加勢できるほど回復していないジョアンはもちろん、紗季と潤の攻撃も軽傷しか負わせられていない。曲がりなりにも戦力と呼べるのは自分だけだった。

 (……ど、どうすれば……僕がこいつらを足止めして加賀美さんたちを……だけど、それじゃ……それとも、僕だけ――)

 煩悶するユキトの耳に潤の悲鳴が響き、巨獣たちの大波が猛然と迫る。

(――ぼっ、僕はまだ――)

 圧倒され、思わず腰を引くユキト――その瞬間、辺りがカッと輝き、空間を横切る数条の稲妻が右側からユキトを襲おうとしていたグリゴ・デオの左肩を直撃して火花を噴かせ、空間が砕けたような雷鳴をとどろかせる。突然の大音響に硬直するユキトたちの視界で半分吹き飛んだ左肩からヘドロ色の血液をまき散らす個体が横にぐらつき、他の2体の動きを止めて向きを変える。

「……雷?――」

 閃光でくらんだ目を瞬くユキトは、雷撃を食らったグリゴ・デオの懐に疾風の如く走り込んだ影が逆袈裟に光を走らせるのを見た。そのひらめき――抜き身の日本刀の斬撃は、とげが吹き出物状に生える怪物の右脇腹から左胸を斬って汚い血を飛び散らせ、返す刀がもう一筋の裂け目を添わせる。雷撃で左肩をえぐられ、さらに決して浅くない傷を負ってグォオオッと吠え猛る個体と対峙し、白い革のメンズシューズで流れを踏み締めて日本刀を正眼に構えながら猛禽類系のまなざしで他の2体をけん制する、ストイックな印象のボウズヘア、黒ジャケットとチャコールグレーのノータック・スラックスの精悍な大学生風青年――そして、ユキトと潤の前にオフィス街から抜け出して来たような格好――肘の下まで袖がまくられたストライプ柄のドゥエボットーニ・ドレスシャツ、ブラウンのレザーベルトが締める黒のスラックス、黒革のビジネスシューズ――の青年が入って盾になる。

「君たち、下がっていろ」

 振り返って声をかける青年は前髪を上げたアップバング・スタイルのイケメンで、顔付きからすると20代半ばくらいのようだった。彼はシルバーの腕時計をはめた右手を上げて紗季とジョアンにも下がっているように指示すると、ボウズヘアの剣士に勇ましく叫んだ。

「やるぞ、佐伯君ッ!」

「――はァッッ!」

 雄々しい気合を爆発させる青年――佐伯が、黒ジャケットの裾をサラブレッドのごとく躍らせて白刃をひらめかせ、猛る手負いのグリゴ・デオのかぎ爪と火花を散らす。体高3メートル台の巨体が風圧とともに繰り出す重い攻撃をしのぎ、疾風迅雷の動きとともに外骨格に覆われた指を切断して筋肉の装甲を縦横に斬り付ける剣は、まさに剛剣と呼ぶにふさわしかった。

「……すごい……」

 感嘆したユキトは、ビジネスマン風青年が袖まくりした両手を前に突き出し、手の平からソフトボールで使われるボール大の光熱弾を連射してグリゴ・デオたちの角を吹っ飛ばし、肉片と濁った鮮血を飛び散らせる光景にも目を見張った。

「強いわね……」

 斜め後ろに立つ潤の感想に、ユキトは唇を結んだままうなった。離れたところにいる紗季とジョアンが奮戦する年上の青年たちにエールを送っているのが目に入る。デモニック・バーストというスペシャル・スキルを使ってパワーアップした自分を超える力を見せられ、頭の中で憧れと嫉妬が入り混じって渦巻いた。

「――だけど、倒れないわよ。あの怪物たち!」

 潤が言うように斬撃や稲妻と光熱弾の魔法攻撃は致命傷を与えるまでには至っておらず、傷付くほど怪物たちは猛り狂って2人を襲った。生き残って立ちすくんでいた木の幹が伸びた指のかぎ爪にえぐられ、勢い余った巨体とぶつかってへし折れる。燃える火薬庫のような暴れっぷりに青年コンビは苦戦を強いられ、ユキトたちは巻き添えを恐れて木々を避けながらさらに下がった。

「――あっ!」

 潤の動揺がユキトの耳朶を打ち、体を揺らがせる。甲殻を割られ、右前腕に深手を負った個体が怒り狂って猛進し、佐伯にかわされてもなおスピードを緩めずに木々をなぎ倒しながらユキトたちの方に突っ込んで来る。

(――く、来るのかッ!)

「――やめろォッッ!」

 ビジネスマン風青年の叫びがとどろき、弱く光る鋼の右こぶしをこわばらせたユキトの目が不意の輝きでくらんだ直後、ドラゴンのような稲妻が暴走する巨体の左胸から上腕を左斜め後ろから食い千切って血肉を飛び散らせる。左腕の残りをドッと落とした怪物はよろめきながら横にそれ、木を押し倒しながら崩れた巨体が光のちりを立ちのぼらせて消滅していく。

(……光が……)

 ビジネスマン風青年の両目――虹彩が金色に輝き、全身から光のオーラが燃え上がっていた。己の存在そのものを燃焼させるかのごときすさまじさ――そのせいか焦燥の影を目元ににじませた青年は、横手から飛びかかる巨獣に二回りほど大きさを増した光熱弾の連射を叩き込んで反った角を、とげを生やして硬く盛り上がった筋肉の甲冑をどんどん破壊し、クレーターだらけになった巨体を仰向けに倒して消滅させた。

(――あれだけ苦戦していたモンスターを……!――んッ?)

 息を詰まらせる潤に気付いたユキトは、前のめりの巨体の懐に急加速して飛び込んだ佐伯が刀を一息に突き上げ、怪物の喉を深々と刺す一部始終を目撃した。仲間がやられてたじろいだ隙を突いた佐伯は刃を一気に引き抜き、噴き出るヘドロ色の血をバリアではじきながら横に飛びのき――

「――ぜやァアアアアッッッ!」

 猛虎の咆哮のごとき気合がとどろき、大上段に振りかぶられた日本刀がおぼれたように鳴きながら前に崩れる怪物の首を一気に斬る。頸椎を断たれ、首の皮一枚にされたグリゴ・デオは重い頭部をぐらりと傾け、光のちりになって仲間の後を追った。

『グリゴ・デオ3体、消滅しました』

 空中からワンが事務的に告げる。

『――戦闘への貢献度に応じて獲得したポイントは、新田公(きみ)仁(ひと)90000ポイント、佐伯修(しゅう)爾(じ)45000ポイント、斯波ユキト700ポイントになります。それ以外の方々は、パーソナル・インフォメーションの所有ポイントを開いてご確認下さい』

 ワンを冷ややかに一瞥した佐伯は熱い息を吐いてびゅっと血振りをし、黒柄巻の日本刀をイジゲンポケットにしまって消すと汗ばんだ顔を横に向け、少し離れて独りうつむき、右手で額を押さえる光が消えた新田に歩み寄った。

「大丈夫ですか、新田さん?」

「あ、いや、少し疲れただけさ。まったく、スペシャル・スキルってのはマジで消耗するな……」

「戦闘続きですし、無理もありません。そのスペシャル・スキルにまた助けられた自分の不甲斐なさを申し訳なく思います」

 慇懃に頭を下げる佐伯に微笑した新田は汗を拭って額から手を離し、ユキトたちに歩みながら薬指で指輪が光る左手を上げて紗季とジョアンを呼んだ。

「――君たち、これを使ってくれ。疲労回復はしないが、傷の治癒や破れた衣服の修復はできるから」

 新田は、そばに集まったずたぼろの負傷者一人ひとりにイジゲンポケットから出した青くきらめく瓶を手渡した。それは魔法の治癒薬ポーションで、ユキトたちが蓋をひねって開け、瓶の口を傷や破れた衣類に傾けると、中からぱあっと出て来た光の粒子がそれらを柔らかく包んだ。

「……キュア・ブレスってのと同じだ……」

 ユキトの体から打撲の痛みが薄れ、傷が血の汚れもろとも消えて、裂けたブレザーやスラックスなどが元通りになっていく。危機を脱して気が抜け、鋼の右腕に宿っていた光が消えたユキトは、自己治癒能力で治りきっていなかった分が癒される感覚に息をつき、汗で濡れた乱れ髪を左手で撫でつけ、汚れた顔を拭うと、きまり悪そうに左隣へ声をかけた。

「……加賀美さん、どう……?」

「ありがとう。もう痛みはないわ」

 空になり、光のちりになって消えていく青い瓶を持ちながら微笑する潤。見捨てようとしたのを悟られてはいない――内心安堵しながら返すユキトの微笑は固く、微かに引きつっていた。

「Thank you so muchです!」

 ユキトの右横でジョアンが人懐っこい笑顔を見せ、新田たちに感謝する。

「――お陰で命拾いしましたよ!」

「本当にありがとうございました」

 その隣で紗季が頭を下げると、新田は照れ臭そうに右手で自分の頬とあごを撫でたが、その斜め後ろで腕組みをする佐伯は「気にするな」といくらか素っ気なく言っただけだった。

「お二人ともお強いんですね。あたしたちなんて全然歯が立たなかったのに……あ、でも――」

 紗季はジョアン越しにユキトを見て、続けた。

「――斯波君はそうでもなかったね。急にパワーアップしてさ。最初から本気出してくれればよかったじゃん」

「Right。――ユキト、あれもスペシャル・スキルってヤツなのか?」

「あ、うん……殺されかけたときに使えるようになったんだ。別に出し惜しみしていたんじゃないよ」

「経験を積むことで戦闘スキルが上がり、特殊能力も開花するシステムらしいからな」

 ふっとまぶたを下げ、腹の前で両手の指を絡み合わせた新田が言い、自分たちの数メートル上に黙って浮かぶワンを見上げる。その瞳に青い火のようなものが揺らめいたとユキトには見えたが、それは視線が下がったときには消えていた。

「――ともかく、君たちを守れて良かった。俺は新田公仁、――彼は佐伯修爾君だ」

 自己紹介をした新田はコネクトレベルを上げるためにアドレスブックに登録し合うことを提案し、同意したユキトたちに自分たちのプロフィールを開示した。

「俺は妻子持ちのしがないサラリーマンで、ワールドで顧客と商談しているときにトバされたんだ。佐伯君は――」

「自分は帝徳大学法学部在籍の四年生。ゼミに参加しているときに強制転送された」

 いきさつを語り、すでに自分たちと合流した他のメンバーも同時刻に強制転送されたようだと言う新田にユキトたちは脱出方法を知らないか尋ねてみたが、首を横に振られただけだった。

「俺たちも手掛かりを求めて、ここにトバされて来た人たちを探していたんだよ。ワンの奴は、肝心なことを教えないからな」

 新田は恨めしそうにワンを仰ぎ、目を自分の前に戻した。

「――それで、コネクトでメッセージを発信して、それをキャッチできた人たちと合流していたんだ。そのとき、木々が倒れる音や悲鳴を耳にしたから佐伯君と助けに来たってわけさ」

「そっか、さっきのコネクトはニッタさんたちからだったんですね」ジョアンが両手をぱちんと合わせる。

「空間震の影響で障害が出ているけど、今も樹海の外にいる人たちが発信を続けてくれているよ。それはそうと、君たち以外に誰かこの辺にいるかな?」

 ユキトたちは顔を見合わせ、ジョアンがリボルバーを持ったぼさぼさ金髪少年と輝くブロンドのツインテール少女、そしてモンスターに殺された平瀬という青年のことを伝えた。

「そうか……」

 沈痛な面持ちになった新田はヘブンズ・アイズを開き、近くにUnkuownやモンスターの反応がないか確かめた。

(……今のところ、ここから脱出する方法は分からないのか……)

 ユキトは新田と佐伯から視線を外してうつむき、ぼんやりアドレスブックを操作して、新田たちと一緒に新規登録された紗季のプロフィールを眺めた。

(……篠沢・エリサ・紗季、17歳……スウェーデン系日本人……)

 アドレスブックをチェックする斜め顔を横目で盗み見たユキトは、目鼻立ちがくっきりした北欧系の美しさをあらためて認めた。潤が椿だとするなら、こちらはオレンジのガーベラだろうか……そんな連想をしたユキトはのぞきをしているような気がして目をそらし、反対側にいる潤をうかがった。

「……どうしたの、加賀美さん?」

 硬い表情でアドレスブックのウインドウを見つめる潤をいぶかしみ、ユキトは横から画面をのぞいた。そこには佐伯のプロフィールが表示されており、年齢や身長といった項目を見ていったユキトは、特記事項にある《ヤマティスト》という単語に目を止めた。

「ヤマティストって……」

 つい出た声に佐伯の目が動く。

 ヤマティスト――ヤマト主義者――

 純血の日本人こそが最も美しく優れた人種であると唱え、移民や混血を異人――《イジン》と呼んで差別する若者たち――彼等は批判的な識者から『和製ナチス』と呼ばれていたが、あらゆる階層の日本国民、とりわけ低所得者層を中心に支持を集めて勢力を増し、国政にも影響を与えていた。右派政党や実業家の支援があったとはいえ、こうしたイデオロギーが台頭した背景には、『異物』への拒否反応はもちろん、イジンたちに仕事を奪われたり競争に負けたりしたことに対する反感があった。

「一部の先鋭分子や左派マスコミの偏向報道のせいで、悪印象を持っているのかもしれないが……」

 佐伯は腕組みを解いて新田の横に出、純血日本人のユキトと潤を前にして言った。

「ヤマト主義は世界に誇れる優れた日本人――《ヤマトオノコ》、《ヤマトナデシコ》になるべく自己研鑽し、それを通じて日本を全世界の手本となる国にすることを目指す思想だ。その考えに賛同してくれるのであれば、いかなる出自の者でも排除はしない。己を高めたいと志したときはいつでも歓迎する」

 真摯な語りをユキトと潤は目を上げて聞き、一瞥されただけの紗季とジョアンが硬い愛想笑いで取り繕う。そうした様子を新田が少し困った顔で見ていた。

『ゆっくりなさるのも結構ですが、――』ワンが頭上から唐突に口を入れる。『野宿なさるのではないならば、日が暮れる前に樹海を出た方がよろしいかと思います』

「そうだな。近くに他の人間はいないようだし……――みんな、移動しようか」

 同意した新田は倒木を避けて先導を始め、どろどろ流動する下生えと地面を黒革のビジネスシューズで踏んだ。新田が先頭、そのすぐ後に佐伯、少し間をおいてジョアンと紗季が肩を並べ、潤とユキトが続き、南へ足を向けた一同の頭上でワンが鈍く光る。くすんでいた空は陰って辺りは深度が深くなったように暗さを増し、汗まみれの肌を冷やされながら揺らめく樹間を進むユキトたちに海の底を歩いている錯覚を起こさせる。

「またモンスターとencountしないかな……」

 ジョアンが不安そうにつぶやくと、紗季が隣で「新田さんたちがいるから心強いでしょ」と笑った。

「そうだね。サエキさんの剣はgreatだし、ニッタさんのスペシャル・スキルがあれば心配ないよね」

 ジョアンが新田の背中に明るく声をかけると、相手は自分の肩越しに一瞥して低い声で言った。

「……いや、あれは体への負担が大きくてね……正直、あまり使いたくないんだ」

「そうなんですか……――そういえば、サエキさんのspeedもgreatでしたけど、あれもスペシャル・スキルなんですか?」

「あれは、アンクレット《アネモイ》の特殊効果だ」

 ちらっと振り返った佐伯はノータック・スラックスに隠れた足首に目をやって、そっけなく答えた。新田が佐伯の言葉を引き取り、アネモイには装備者のスピードを上昇させる特殊効果があるのだと教えた。

「――ワンの話だと、ポイントで購入できるアクセサリーには、様々な特殊効果があるらしい。――」

 話していた新田の前でコネクトが着信を知らせ、開いたウインドウに乱れた映像と途切れ途切れの音声が流れる。

「――エリーちゃんか?」

『――ん――田さん――』

 映像が自動調整され、ライトグリーンのカーディガンとオフホワイトのTシャツを着た褐色――ジョアンと比べて地味な肌色をした少女のバストアップを映す。まだ親離れできていない小学生にも見える、鼻が低く目の小さな黒髪ボブヘアの丸顔少女は、新田と回線がつながると胸を撫で下ろした。

『新田さん、無事ですか?』

「俺も佐伯君も無事だよ。新たに4人の仲間を見つけたんだ。今コネクトするね」

『あっ、は、はい……』

 新田はユキトたちとコネクトして少女との映像通信――《イメージ・コネクト》に加えると、お互いに自己紹介をするよう言った。

『……あ、よ、葉(よう)エリー……です……――』

 伏し目がちにぼそぼそ名乗り、少女は新田に促されてユキトたちとアドレスブックに登録し合った。葉エリー――14歳。ユキトが確認したプロフィールの血統欄には、アフリカ系と台湾系のミックスと記載されていた。

『……あの、新田さん。みんな不安がっていますから、早く戻――きゃっ!』

「どうした、エリーちゃん?」

『ニーちゃん、ブジやの?』

 ピンク髪の少女が後ろからエリーに抱き付き、画面の向こうから天真爛漫な笑顔で照らす。エリーと同い年くらいで、くしゃくしゃしたショートヘアの少女は、フィリピン系らしい顔立ちをしていた。

「こら、ジュリアちゃん。エリーちゃんをびっくりさせたらいけないぞ」

『ビックリなんかさせてへんもん。――なー、エーリ?』

『え、ええ……――あの、ま、待ってますから、新田さん』

『ジュリもまってるわぁ、ニーちゃん』

「分かった。すぐに戻るよ」

 そう伝えたところでベリノイズがひどくなって通信が切れてしまい、新田は「まだ通信環境が良くないみたいだな」とつぶやいてコネクトを閉じた。

「今のピンクの髪の子は、何て名前なんですか?」紗季が新田に尋ねる。

「吉原ジュリアちゃんだよ。エリーちゃんと同じ14歳、君たちより三学年下かな」

「ふぅん。何だか、individualな人が多そうだなぁ……」

 ジョアンが佐伯をちらっと見て言うと、新田は「そんなことはないよ」と笑って歩き出し、一同を引っ張って次第次第に暗くなる樹海の外へと急いだ。

「おい、ユキト」

「えっ?」

 歩を緩めて並んだジョアンにユキトは体を固くし、目元を引きつらせた。おそらく殺されるだろうと認識しながら見捨てた事実――胸でうずく罪悪感がこの数十分の間、ジョアンをまともに見れなくさせていた。

「その、ボクがモンスターにやられて転がったときのことなんだけどさ……」

「……」

 暗い目を伏せるユキト、そしてその隣を無表情で歩く潤にジョアンは気遣う調子で話しかけ、自分は気にしていないと告げて、ユキトの左上腕を軽くタッチした。

「――立場が逆だったら、自分だって同じことしたかもしれない……いや、きっとしたよ。だから、さ」

「うん……」

「あのときは、ああするしかなかったのよ。ごめんなさい」

 潤はさらっと謝って終わりにしたが、ユキトは悶々としたまま黙った。ジョアンの言葉を首肯する一方、気遣いが感じられるがゆえにいっそう自分がひどく利己的で情けない人間だと思え、流動にさらされている体が立ち泳ぎをしている感覚にとらわれた。

「それにさ、ボクはユキトに感謝してるんだ」

「え?」

「あのgreat powerでバトってくれたじゃないか。ユキトが戦ってくれなかったら、新田さんたちが来る前にannihilationしていたよ」

「そうよね」黙って背中で聞いていた紗季が振り返る。「お陰であたしも助かったわ」

「あ、うん……」

 ユキトは右手にはまったままのナックル・ガントレットに目をやった。紗季も潤もポーションを受け取るときに武器をイジゲンポケットにしまっていたが、ユキトは死闘の興奮がなかなか冷めやらなかったことに加えて微熱が残る右手に奇妙な脈動を感じ、それを確かめるのがためらわれてそのままにしていた。

「もう外してもいいのよ、斯波君」潤が横から言う。

「うん……でも、またモンスターが襲って来るかもしれないし……」

「そうだけど……」

「……はめておきたいんだ、これ。もっとしっかりしなきゃいけないってことを忘れないために……ごめんね、加賀美さん。ちゃんと守ってあげられなくて……」

「そんなことないわ。斯波君は一生懸命私を守ろうとしてくれたもの。ありがとう」

「加賀美さん……」

 ユキトの頬が赤らむ。クールな美少女がつぼみをほころばせて咲かせた微笑は、絡み合っていた思考を半ば霧消させる美しさがあった。

「……僕、やるよ。加賀美さんのために」

「ふふ」

 鋼の右こぶしをガチッと固めて意気込むユキトを潤が嬉しそうに見つめ、ジョアンが2人を冷やかして笑った。そこに紗季が面白くない顔で割り込む。

「もしもし、斯波クン。あたしのこと、忘れてない?」

「へ? な、何を?」

「『何を?』じゃないわよ。あたしだってあなたを助けたのよ。少しくらい感謝してもいいんじゃない?」

「あ……ああ」

 軽く頬を膨らませて近付く紗季にたじろいだユキトは、自分をにらむブラウンの瞳にふと違和感を覚えた。

「……ちょっと、何じっと見つめちゃってんの?」

「あっ、いや、別に……」

「ごめんなさい、篠沢さん」潤が紗季を遮る。「あなたのお陰で助かったわ。私も、彼も。ありがとう」

「あ、いえ……」

 カーテンを閉めるような口調に紗季は鼻白み、不満げにユキトを一瞥すると栗色の髪を揺らして新田たちを追い、ジョアンも微苦笑を残してそれに続いた。

「……どうかしたの?」

 紗季たちの背中から目を戻した潤は、ユキトの顔色が少し悪くなっていることに気付いた。

「彼女のことなら、気にしなくていいわ。助けてくれたからって、あんな言い方――」

「いや……」

 浮かれた気持ちが冷めたユキトはぼんやりとしただるさを覚え、言い知れぬ不安にとらわれた。それは、鋼に隠れた右手の脈動とともに高じてくるようだった。

「――違うんだ……――あの、新田さん」

「うん? どうした、斯波君?」

 新田が足を止めて振り返り、佐伯や紗季たちも立ち止まって目を向ける。みんなに注目されたユキトは束の間悩んだ末、独りになるための適当な理由を口にした。

「あの、ちょっと、その……生理現象、ですかね?」

「どうして疑問形なのよ」紗季が突っ込みを入れる。

「トイレか、ユキト。そういや、ここってそういうとこrealなんだっけな」

『その通りです、ジョアン・シャルマ。ここではリアル同様の生理現象が起きる設定になっています』

「そうだったな」新田はワンを斜めに見上げた。「――じゃあ、俺たちはゆっくり進んでいるよ。位置はヘブンズ・アイズで確認して、何かあったときはコネクトで知らせてくれ。なるべく早く追い付いてくれよ。いいね?」

「はい、分かりました」

 返事をしたユキトの前にいきなり店舗デザインのウインドウが開き、気だるげに浮かび上がった3Dの3頭身キャラ――緑の髪を二つ編みアレンジにし、サイケデリック柄のフレアチュニックワンピースを着てオレンジの厚底サンダルをはいた少女が、目を丸くしたユキトに腕組みをして「はぁ……」と面倒臭げなため息をつく。

『――何が欲しいの? うちにはどんなお店でもあるから、ポイントさえあれば超大型旅客機でもレジャー施設でも何でも買えるわ。ただし、ドラッグみたいなヤバいものは売ってないよ』

「な、これって?」

『彼女はショッピングアプリ《StoreZ》のマスコットキャラ、ミセっちです。携帯トイレ等の物品がご入り用であれば、ご利用下さい』

「これがStoreZ……分かったよ。どうも」

『えっ? ちょっと、わざわざ出て来たのに――』

 顔をしかめるミセっちに構わず、ユキトはStoreZを閉じた。

「いいのか、斯波君?――そうそう、君たちも遠慮なくStoreZで飲み物買って水分補給するとかしていいからね」

「あ、そうですね」と紗季。「――こんな目に遭っててそっちまで気が回っていなかったけど、喉からからだわ」

「me tooだよ。体、くたくただしさ……スタミナドリンクとかも売ってるんですかね?」

「うん、あると思うよ。――じゃ、俺たちはそんな感じで先に行っているね、斯波君」

「はい」

「私、待っていましょうか?」

「いっ、いや、いいよ、加賀美さん。みんなと先行ってて」

「……分かったわ。それと……」

「ん?」

「私のことは潤って呼んでいいわ、ユキト」

「あ……うん、加賀――じゃなくて、その、じゅ、潤……」

「うん。じゃあ、早く来てね」

 赤面するユキトに微笑んで潤は離れ、新田たちに続いて行った。一同がワンともども揺らめきに溶けていくのを確かめると、ユキトは体が隠れるくらい太い幹の陰に流動によろめきながら入り、右手の指先から前腕部を覆う鋼の表面に映る自分のひずんだ影を見つめ、左手の平を額に当てた。

「風邪……とは違うみたいだし……」

 右手の甲から蝕まれていくような不快感――胸騒ぎを覚えるユキトはしかし、外して確かめる勇気をなかなか出せずにためらっていた。だが、もたもたしていたら、きっと新田たちが心配して戻って来るだろう。

「……武装、解除」

 頭で考えるだけで反応するので、別に声に出す必要はなかったのだが、自分の背中を押すためにユキトはあえてそうした。そして、ナックル・ガントレットが光になって消える。

 ――――はっ―――――――――――――――――――――――

 それを見た瞬間、ユキトの息は止まった。

 目一杯開かれた目がとらえる右手の皮膚は黒く、半石化したような見た目と硬さになって少し膨れており、爪は赤黒く変色していた。慌ててブレザーの袖をずり上げ、ワイシャツの袖口のボタンを外してみると、その異変は手首まで及んでいる。ここが個性的にデザられたアストラルのるつぼである一般的なゾーンだったなら、それほど驚くことはなかっただろう。だが、ここでは全員が『ノーマル』、つまり現実世界の姿――個々人の記憶に基づいて容姿や化粧、服装、アクセサリー……と細部までワールドにオンしたときそのままに再現されている状態だとワンから聞いている。それなのになぜこんなふうになっているのだろうかと、ユキトは不気味な右手を凝視し、何度も手の平と甲を返して、革手袋をはめているような感覚を覚えながら恐る恐る握ったり開いたりしてみた。

「な……何だよ、この怪物みたいな手? 右手だけデザられているのか? でも、何で?……」

『《魔人化》が進行しています』

 仰天したユキトはとっさに異形の右手を隠そうと左手を重ね、頭上できらめく黄金の光球を見上げてあ然とした。

「おっ、お前、みんなと行ったんじゃ――」

『以前にも申し上げましたが、私はこのゾーンにおられる方々共通のサポート・ソフトウェア。同時に複数の場所に存在することが可能です』

 ワンは無感情な声で説明し、続けた。

『――デモン・カーズにより、あなたは右手から《魔人》に変貌していきます。魔人化が進行するほどあなたは苦痛にさいなまれ、最終的にアストラルが崩壊して消滅することになります』