マホウのころも

 “楽園”――失われたパラダイス――

 暗い洞窟の奥に描かれた拙い壁画、あるいは昔話が伝える地上の天国――それらしい遺跡や遺物が発見されるたび世人を色めき立たせるその国では、夜を退けて燦然と輝く都に林立する塔が天を衝き、人びとは神さながらの力を操って何不自由なく暮らしていたという。

 その楽園がなぜ消えたのかは分からなかったが、憧れを募らせた人びとは自分たちが操る“マホウ”の力を高めて伝説に劣らぬ壮麗な都をあちこちに築き、そして、あらゆる望みをかなえる“マホウのころも”を生み出すに至った。

 マホウのころも――これこそマホウの最高傑作であり、楽園への切符だった。

 なにしろその光るころもで裸体をすっぽり包めば、マホウの力で全知全能になれるのだから。

 思いのままに姿を変えて大空を、さらには星の海を飛び回り、深い海の底に潜ることもでき――

 恐ろしい獣に出くわしたなら、怪物さながらの力で八つ裂きにし――

 星の裏側で起きていることをすぐに知り、世界のあらゆる知識に精通し、森羅万象の摂理を解き明かすことができ――

 欲した物がたちまち手や腕の中、あるいはころもの内側に現れ――

 望み通りの夢を見て、においも感触も何もかもが本物の幻と戯れることができ――

 まとう者を不老不死にさえするころもの話は世界中を駆け巡り、人びとは――全財産をはたき、借財をしてでも――我も我もと求めた。初めのうちは希少で手が届きにくかったころもも、多くの作り手が作り方を知って熟練するとたくさん出回って入手が容易になった。それでも買うことができない貧民には、慈善家が憐れみや善意からころもを配った。

 一方でころもに否定的な人びともいた。ころもに包まった生き方を堕落と考える者や、みんながころものためにマホウを過剰に使うと、星に悪影響を与える可能性があると警告する者たちである。

 しかし、水の低きに就くがごとし。否定的だった者たちも幸福を享受したいという欲求に逆らえず、1人、また1人ところもを手にして包まるようになった。頑強に拒んでいた者は、ころもの恩恵――不老不死――を受けられずに年老い、病に冒されて死んでいった。こうして世界の人びとすべてがころもに包まれたのである。

 それでも、当初はころもから出て過ごす時もあった。だが、それは次第に短くなってついには皆無になった。包まっていれば全身から栄養と水分を与えられ、老廃物は処理されるので出る必要はなかった。世界を駆け巡っていた者は、目的地まで移動する手間を惜しんで夢で代替するようになった。何しろ、ころもが見せる夢は現実と比べても遜色がなく、しかも、はるかに胸躍るものだった。それぞれが望む現実を夢で生きるようになった人びとは争うこともなくなり、際限なくマホウを使いながら各々の繭の中で楽園におぼれ続けた……




 破局は突然だった。

 ある日、何の前触れもなくマホウが失われ、ころもはただの布になった。

 人びとが投げ出された現実では冷えきった天から雹混じりの雨が降り注ぎ、大地は輝きを失った都をたびたび乱暴に揺さぶって、荒れ狂う海は波涛を砕きながら海岸線を浸食し続けていた。自分たちの星がそのようになっているなど、ころもにこもっていた人びとには知る由もなかった。

 みんながマホウを使い過ぎたせいだ――そう叫んで嘆く者もいたが、後の祭りだった。うろたえる人びとをよそにどす黒い雨雲の向こうで陽は消え、闇が都と世界を飲み込み始める。光をむさぼることが当たり前だった人びとはおののき、どこかに逃げようとしたが、足――のみならず全身がすっかり弱っていたので走るどころか這うことさえままならなかった。そのうち人びとはぶるぶる震えてくしゃみや咳を始め、ひどい高熱を出してバタバタと倒れていった。はやり病が虚弱な獲物をとらえて猛威を振るい始めたのである。

 あがく人びとは死んだ都に残る食料や医薬品を巡ってひっかき、かみつき合った。夢の世界で神のごとく振る舞ってきた者たちには、他人と手を携えることなどできはしなかった。そのような争いごと地震は都を崩し、津波はすべてを押し流した……




 ……長い、長い時を経て星は落ち着きを取り戻し、一握りの生き残りが原始の大地で命を増やし始めた。人びとはかつて存在した楽園とそれが滅びたいきさつを親から子、子から孫へと語り継いだが、いつしか耳触りが悪い部分とそこから導かれる教訓は嫌われて消え、美化された楽園への郷愁だけが残った。そして、若者たちは薪を食らう炎が照らす洞窟の奥で、狩りで仕留めた獣の脂と土を混ぜて壁一面にあこがれの楽園を描いた……

(了)