Prelude ワールド

 シミュレーテッド・リアリティ・テクノロジー――

 神経科学の飛躍的進歩によって実現した技術は、IT企業連合体主導でサイバースペースを第二のリアル《ワールド》に進化させ、人の精神そのものと言えるアバター《アストラル》で活動する新時代を開いた。

 インターネットがそうであったように、ワールドもソーシャル・ネットワーク・サービスからエンターテインメント、医療、教育、ビジネス、性風俗……と幅広く活用されるようになり、アストラルによるアクセスはカナル型イヤホンタイプの機器《WTDrive》――World Transmigration Drive――を両耳にはめるだけで可能になった。

 そして、人類はこの新世界でも他者と交わり、傷付け合っていた……




『――おい、聴いているのか、ブルースノーッ!』

 強制転送される一時間ほど前――耳を打つ怒鳴り声に斯波ユキトは顔を上げ、立ち並ぶ自分たちの前で赤茶けた岩山の連なりを背に仁王立ちになっている黒と赤でカラーリングされた人型ロボットをモニター越しににらんだ。モニター画面にはマップ、レーダー画像、スペックデータなどと一緒にチャットウインドウが表示され、ユキトがガンをつける軍鶏に似た機械の顔が映っている。

『――基地を守っているオーバ・アーマは数百体もいるんだ! 油断していると撃墜されてしまうぞッ!』

(うるさいな、偉そうに……!)

 チャットウインドウの顔に尖った視線が突き刺さったが、それはシャープが勝ち過ぎた感の蒼い機械の顔には表れない。相手及び周りと同じく全身を特殊合金の装甲で固め、岩肌を踏んで全長約4メートルの人型ロボットの体を支えているユキトが一対の握りこぶしを作り、歯をかみ締めてふてくされていると、舌打ちをした軍鶏頭――チームリーダーは焦点をその左右に立つそれぞれカラーリングやデザインが異なる30体ほどに移し、現在地から北に10キロ離れた山間の基地攻略作戦の説明を声高に再開した。

 《ASSAULT BRAIN》――アストラルを人型ロボット《オーバ・アーマ》に変えて戦闘を楽しむSFロボット・アクションタイプのシミュレーテッド・リアリティ・ゲーム――

 昼休みに学校を抜け出し、そのまま授業をさぼって行き付けのネットカフェ《サイバードリーム葵店》のシングル個室席から自分のWTDriveを使ってワールドにアストラルをトバし、ASSAULT BRAINのゾーンにジャンプしたユキトは、《ブルースノー》といういつものハンドルネームでゲームを始め、声をかけてきたこのチームの一員になってミッションに参加していた。他人とつるむのをあまり好まないにもかかわらず加わったのは、大規模な戦闘で派手に暴れて憂さを晴らしたかったからだった。

『――このミッションは、敵基地の破壊が勝利条件だ。我々は左右、中央の三手に分かれて敵オーバ・アーマ部隊を正面と側面から攻撃し、せん滅する。相手はすべてAL、対人じゃないからな、遠慮無くぶっ壊してやれッ!』

 軍鶏頭がこぶしを振り上げると、チームメンバーの威勢のいいレスポンスがチャットウインドウに騒々しく並ぶ。それから独り外れていたユキトは、特殊合金の殻の中で密かにため息を漏らした。

(……何かメンド臭くなってきたな……リタイアとかしようかな……)

『――時刻合わせはできているな! カウントダウンを始めるぞッ!』

 投げ出そうとするユキトを押し流すようにカウントダウンがモニターに表示されているデジタル時計を元に始まり、左右のオーバ・アーマが手をアーム形態からレーザーブレードやアサルトライフル、ガトリングガン、プラズマガンやビームキャノン等に、一部は両肩をミサイルポッドやランチャーにチェンジさせ、背部のブースターに点火して辺りの熱を急激に高めた。

『――4、3、2、1、ミッションスタートォッ!』

 号令が通信回線を通して響き、一斉にブースターから炎を噴いた人型ロボット群が濁った空に飛び立つ。みるみる小さくなっていくそれらを1人眺めていたユキトのチャットウインドウに軍鶏顏が表示され、青筋の稲妻が目に見えるような怒声が炸裂する。

『何やってるんだ、ブルースノーッ! 早く来いッ!』

「……ウザいんだよ、まったく……!」

 聞こえないようにののしる少年の内部で、暴力的な衝動が圧力を増す。

「――嫌なんだよ、何もかもッ!」

 かんしゃくがブースターに炎を噴かせ、蒼い機械の体が猛然と飛び立つ。やけっぱちな咆哮を上げながらエンジンをブーストさせて加速し、チームメンバーに急接近するユキトの視界に基地から飛び立つ数百の影が映り、その黒い人型ロボット群が発射するおびただしいミサイルを感知したレーダーがアラートを発報する。

『来たぞ! 応戦しろッ!』

 リーダーの命令一下ミサイルとビームが迎撃し、乾いた血の色をした岩山の上空が爆発に覆われ、響き渡る轟音が世界を震撼させる。そして激突し、突入した乱戦の中でガトリングガンが狂ったように銃弾を連射し、レーザーブレードが装甲を焼き切って、破壊された敵オーバ・アーマがばらばらと落下していく。遅れて戦闘に加わったユキトも渦巻く狂的な興奮に憑かれ、右前腕部から発生するレーザーブレードで一息に2体の敵を斬って破壊し、目についた3体目に突きかかった。

「――こンのォォォオオオッッッ!」

 ユキトの斬撃を相手もレーザーブレードで凌ぎ、はじいて、二度、三度と斬り結ぶ。

「――せあッ!――やあッ!――はあッッ!――」

 しぶとく抗い、反撃するAL――いら立ちが高じたユキトは遮二無二に突っ込み、鍔迫り合いをしながら罵声を浴びせた。

「――生意気なんだよッ! さっさとやられろよッ!」

 モニター越しににらみつけたそのとき、ユキトは鈍く光る機械の目の奥に奇妙なものを感じてぎょっとした。ALの人工的なものとは異質の、暗い熱をはらんだまなざし――思わず腕の力を緩めた瞬間突き飛ばされ、胸へ走ったレーザーの刃が蒼い装甲に横一文字の傷をつける。

「――ッ――!」

 このゲームは、例えボディが粉々に吹き飛ばされてもアストラルそのものは損傷しないが、ダメージを受けたとき軽いショックを感じるように設定されている。それが少年の未熟な精神を刺激した。

「――ALのくせにィッ!――」

 激高して固めたこぶしがナックル形態に変わり、エネルギーをみなぎらせて襲いかかる。左右のこぶしは猪突猛進に圧倒される顔面にめり込み、ふらついたALの胸にユキトの右前腕から再び伸びたレーザーブレードが突き刺さる。

「――落ちろォッ!」

 ガトリングガンにチェンジした左腕がみぞおち部分に押し当てられ、銃弾が黒い装甲を突き破って背部から次々飛び出す。そして銃身が息切れしたように回転を止めると、派手なけいれんを披露していた敵オーバ・アーマはだらっとして動かなくなり、レーザーブレードが力任せに引き抜かれるや赤茶けた山岳地帯に落下していった。撃破――だが、なぜか爽快感は無く、不快なざらつきが残った。

「……何なんだよ、この感――」

 背中で起きた爆発がブースターを破壊し、ユキトを反り返らせて吹っ飛ばす。敵部隊から発射されたミサイルの直撃――推進力を失ってうろたえながら落ちていくターゲットめがけ、さらに数発のミサイルが排気煙の尾を引いて群がる。

「――くッおおおおッッ――!」

 連続する爆発が蒼い装甲を飲み込み、ひび割れたモニターが真っ赤に点滅して致命的ダメージを伝える。

「――ッォォ――ぐわあァッッッ!」

 爆炎から吐き出されたぼろぼろの体を斜め上空からとどめのビームが貫き、頭から地上に落下するユキトの真っ暗になった視界に【GAME OVER】の文字が現れる。

(――最悪だ、ホントに――)

 ミッションから脱落し、ラウンジルームにオートジャンプさせられる瞬間、ユキトはあえぐようにつぶやいた。




 通りを見渡せる窓から気だるげな陽光が差し込み、香ばしさ漂うイタリアン・デザインの店内で軽快な音楽が踊る《カフェ・アレグロ》店内――そこでは青い肌の八頭身エイリアンデザインや三頭身の萌えデフォルメキャラがイスに腰かけ、ソファの背にもたれてコーヒーカップ片手にくつろぎ、マスコットキャラがぷかぷか宙に浮きながらうたた寝している。魔法の国の住人のような客たちはお喋りに飽きると連れ立って店内からふっと消え、逆にぱっと現れて出入り口から入って来たりして少しずつ入れ替わっていた。

 アストラル――第二のリアルと呼ばれるサイバースペース《ワールド》におけるアバター――

 CGのアバターの頃からそうであるように、人の精神そのものであるアストラルもそれぞれ個性的にデザイン――俗な言い方では『デザられ』ている。それは、手を加えなければ現実世界の容姿そのままになるアストラルを変えて個人情報を守る目的もあり、金融機関での取引や学校の授業出席、ビジネスの商談など身分証明が必要だったり礼儀上の理由があったりする場面以外では、自分の好きなようにデザることが普通だった。

(……く……!)

 カフェの片隅、壁を前にした席に座ってうつむいた蒼い髪の少年がいら立ちを漏らし、ストローが挿さった蓋付き紙コップが乗るテーブル下で両こぶしを微かに震わせる。装着した青い金属のハーフマスクに無造作な前髪をかけ、黒コートを着て背中を曲げたそれこそ斯波ユキトのデザられたアストラル。ミッションから脱落し、ラウンジルームに戻されたユキトは、逃げるように《ASSAULT BRAIN》のゾーンからジャンプし、いくつかのゾーンを流れてここに引っかかっていた。

「……くそっ!……」

「あの、お客様?」

 横からかけられた声をはねつけるように顔を上げ、仮面越しににらむユキトのすさんだ瞳に腰を屈めたメイド服姿の少女――人工生命《Artificial Life》が映る。今日、ワールドで人間の代わりにあらゆる労働に従事するプログラム生命体――白のレースフリルとエプロンを組み合わせたワインレッド・ベルベットのメイド服を着て、黒のボブヘアに銀のカチューシャをつけたALの店員は、ファンタジックにデザられたアストラルばかりの店内で人間そのものの容姿を目立たせていたが、その表情や雰囲気には人間を真似ているような、あるいは人間らしさを損なった奴隷に似たものがあった。

「ご気分がお悪いのですか? 別室でお休みになられますか?」

「うるさいな! あっちに行ってろよっ!」

 相手が人間ではない、ALだという意識が乱暴な言葉を叩き付けると、店員は事務的に深々と頭を下げた。

「申し訳ございませんでした。お役に立てることがございましたら、いつでもお呼び下さい」

 謝罪を述べ、立ち去る店員。その後ろ姿を一瞥したユキトは、テーブルの下で両手の指を組んでうつむき、ひとりごちた。

「……あいつが悪いんだろ。余計なお節介をするから……!」

 店員へのいら立ち――のみならず、沸き上がる混沌とした怒りや嫌悪と混じってうねり、渦巻く感情を持て余し、ユキトは気晴らしにどこか他のゾーンにジャンプするか、それともネットカフェのシングル個室席に意識無く座っているリアルボディへ戻ろうかと考えた。そのとき、突然体がジャンプの――アストラルが分解されて転送される感覚に襲われる。

「――なっ、僕はまだ――」

 異常を周りに知らせる間も無く、ユキトのアストラルは消え失せた。ジャンプによるゾーン間の瞬間移動――それはワールドではごく当たり前の現象で、ドリンクの代金も購入時に支払い済みだったので、突然消えたことを他の客もAL店員も誰1人気にしなかった。