Mov.7 合流

 陰りの潮が樹海に満ち、野放図に茂る枝葉が、ねじけた幹がゆらゆら踊りながら影絵に変わっていく。ようやく仲間に追い付いたユキトは500mlのペットボトル片手の潤と並び、ヘブンズ・アイズをチェックしてモンスターを避け、爪で引き裂かれたような映像と音声を流すコネクトで外のメンバーと連絡を取る先導に従い、混沌とした薄闇を黙々と歩いた。その背後では、宙に浮かんだ光球が囚人を見張る看守のように付いて来る。潤に勧められ、新田やジョアンたちと同じようにStoreZからミセっちにため息をつかれつつスポーツドリンクを購入して乾きを潤すと、汗に濡れた体が中から冷え、忍び寄る夜気と相まって寒気すら覚える。だんだん棒になる足が20分ほど下生えを蹴り分け、落ち葉を踏み続けたところでようやく樹間に陰気な光が見え、一同の足を自然と早めさせた。

「just a little bit!」

 ジョアンが疲れた体に気合を入れると、紗季がヘブンズ・アイズから目を上げて「あそこに人がいっぱいいるわ」と新田と佐伯の背中の間、アカモクのごとく揺らめく木々の向こうを指差した。3Dマップ上に表示されるたくさんのUnknown、それらは隔たりと空間のゆがみのせいで遠目には葦の群れが揺れているように見える。

「……ずいぶんいるわね」潤が切れ長の目を細め、手元のヘブンズ・アイズに転じる。「ざっと見ても200は下らないみたい」

「そうだね……」

「……どうかしたの、ユキト? 元気無いみたいだけど」

「そんなことないよ」

 ユキトは潤を一瞥し、ぎざぎざした葉でローファーとスラックスを傷付ける下生えに目を落として、ナックル・ガントレットを装着した右腕を体の陰に入れた。

「……ただ、その、疲れているだけさ……」

「それならいいけど……」

「分かるよ、ユキト」ジョアンが歩を緩め、振り返る。「ボクもgroggyだよ……hungryだし……」

「しっかりしなさいよ」紗季が汗ばんだ顔を振り向ける。「あとちょっとなんだから。落ち着いたらStoreZで何か買って食べましょ。――ほら、斯波君も」

「うるさいな……前向いて歩けよ、篠沢。木にぶつかるぞ」

「は? ちょっと、何で呼び捨て?」

「『篠沢さん』ってキャラじゃないだろ、お前」

「あんたね……ま、いいけど。その代り、あたしもあんたのこと斯波って呼ぶからね」

 さらっと言った紗季は、ふっと表情を曇らせて黙った。

「どうかしたのかい、サキ?」

「ううん……知依――友達ん家のヨシツネを思い出しちゃって。柴犬なんだ……」

「ああ、『シバ』つながりってワケだね」

「……帰れるよね、あたしたち……」

「樹海を抜けるわよ」

 潤が佐伯の背中辺りを見つめ、素っ気無く言う。振り返って励ます新田と佐伯に続いて黒緑の檻を抜けると、そこにはぼう然とさせる揺らめきの眺望――蒼く濁った雲の層と黒い稜線がはかなげにたゆたい、その狭間で衰微する夕陽が見渡す限りの草原を枯草の海原に変えており、そこに群生した葦――同年代の若者たちがばらばらと、すがり付くように新田と佐伯に寄って来た。初秋の街で友人たちとつるんでいたような格好の者、自室でだらだらくつろいでいたらしい者、学生服や薄汚れた作業着姿の者……捕食者におびえる草食動物のごとき集団は多様な服装で構成されており、全員がワールドに『トんで』いたときに強制転送され、通常は個人情報秘匿目的で姿形を変えているアバター――魂の体とも例えられるアストラルをノーマル、すなわち記憶に基づいて再現されたリアルそのままの姿に戻され、さらされているに違いなかった。

(……この中に、自分と同じような『設定』の人はいるのか?……)

 同年代の群れを見つめるユキトは、そんなことを考える自分がとても醜く思え、軽い吐き気を催した。

(……僕は他人の不幸を期待している……最低だな……)

 ぐずぐずの夕陽に焼かれ、右顔面を陰らせたユキトが目元をひび割れさせたとき、集団から小柄な影が二つ飛び出して新田に駆け寄った。一人はTシャツにカーディガン、ベージュのガウチョパンツ、白スニーカーの葉エリー。もう一人は、白地に花柄、細い肩をのぞかせるオープンショルダーのチュニックにモカブラウンのハーフパンツ、エジプトサンダルをはいたくしゃくしゃピンク頭の吉原ジュリア――

「――新田さん! 新田さん、よかった、無事で……」

「ニーちゃんたち、けがしてへん? ブジでよかったわぁ~」

 新田にまとわりつくエリーと遠慮無しに抱き付くジュリア――気の小さいマルチーズと天真爛漫なトイプードルといった少女たちを新田は笑顔で迎えたが、その斜め後ろでは佐伯が触れ合いから硬い顔を背けていた。

「見て、子ブタが鼻から光出してる!」

 紗季が、エリーの右肩の上にふわふわ浮かぶ愛らしい物体を指す。ジョアンが後ろのワンに確かめると、あれは懐中電灯アプリ《ライトン》だという答えが返って来た。

「二人ともありがとう」

 新田はエリーとジュリアの頭を撫で、スターに群がるファンのごとき若者たちを見回した。

「――俺たちが樹海に入っている間に、また人が増えたみたいだね」

「は、はい、みんなで呼びかけを続けていますから」

 エリーがバックグラウンドでタスクを実行していたコネクト――映像メッセージを送り続ける画面を見せる。空間震に起因する通信障害は改善されつつあったので、コネクトは合流を呼びかけるクリアなメッセージをより広範囲に発信していた。

「――受信した人たちがどんどん集まってます。みんなこの辺りにいるみたいですね」

「そうか。うまく合流してくれればいいな」

 揺らめく地平に崩れていく陽を気にした新田はユキトたちを皆に紹介し、アドレスブックへの相互登録を促した。手続きは頭の中で承認するだけだったので、ユキトのアドレスブックにはほんの数秒で200人以上が新規登録された。その大半は純血の日本人だったが、韓国系や中国系、ブラジル系なども散見された。

「……ここにいるのは、僕らも入れて236人か……」

 ユキトが見回すと、ジョアンがヘブンズ・アイズを見て「どんどん集まって来るぞ」と知らせた。マップ上では方々からのUnknown接近が確認でき、空間の揺らめきから断続的に浮かび上がるニューカマーを新田が迎えに出るたびに新規が増えていった。

「何だか、むっとするわね」

 潤が高まる密度に少し眉を寄せる。上空で光るワンの下、得体の知れないゾーンに放り込まれた不安から若者たちは自然と交ざり、流動に押されてごたつきながら新田を追って動いた。

「kidnappedは、666人だったよな」

「あいつはそう言ってたけど……でも、殺された人もい――んっ?」

「あ、すっ、すみません」

 肩が軽くぶつかったことを詫びる相手を見たとき、ユキトは黒髪を6:4に分けて左右にすらっと流したロングヘア、色白で優しげな顔や自分より少し背が低く、きゃしゃな体付きから女の子かと思った。しかし、服装は白ブレザーにワイシャツ、ブルーのネクタイ、ベージュのスラックスに黒革ローファーというもので、ユキトの意思に従って検索されたアドレスブックは、王生雅哉、15歳――というプロフィールを表示した。

「すみません、ぼく、ボーっとしちゃって……」

「いや、こっちこそ……」

 王生は柔らかな黒髪を揺らして何度も頭を下げ、もうモンスターと戦ったんですかとユキトたちに尋ねた。

「戦っちゃったわよ。あたしたち、大変だったんだから。――ねぇ?」

「そうそう。ホントにdyingだったんだぞ。――なぁ、ユキト?」

「ぅん……」

「……そうなんですね。ぼく、正直怖くて……」

 ひ弱そうな眉を下げ、青白い顔を伏せる王生。間近でそれを見ていたユキトは微かな不快感を覚え、視線を右にそらした。と、その先に黒ポロシャツの上にパープルのカーディガンを着て、黒ジーンズ、ブラウンのトレッキングシューズと合わせたキツネ目の青年が人波をかき分けて近付いて来るのが見えた。その青年――アドレスブックによるとクォン・ギュンジという18歳の韓国系日本人は、ユキトたちを見て目をかぎ爪状に細め、焦点を外すと黙って王生の右腕をつかんだ。

「あっ、クォンさん……」

「また仲間を見つけたから、紹介してやるよ。さあ、行こうか。ほらほら、早く早く」

「……はい……」

 180センチ近いクォンに引かれた王生は、気が進まなそうな表情をしたものの、おとなしくユキトたちから離れ、人波に隠れて見えなくなった。

「連れて行かれたわね、あの子」潤がユキトに言う。

「そうだね……」

 ユキトは何となく潤と目を合わせづらく感じ、うつむいた。と、何かを目にしたジョアンが「あッ!」と声を上げて伸び上がり、ふらつくやぐいぐい引っ張られるように歩き出した。

「ちょっと、どうしたのよ?」

「ん? あ、サキ! いたんだよ、angelがッ!」

「はぁ?」

「angelだよ! ツインテールのッ!――ほら、ユキト! あそこッ!」

「えっ?――あっ!」

 指差す先を見て、ユキトの目がフラッシュをたく。人の波間できらめくブロンド、色あせた紫のジャージ――それは見覚えのあるものだった。

「――あれ、あのときの……」

「そうだよ! 行ってみようぜ、ユキト! Hurry upッ!」

 右手をぶんぶん振るジョアンに急かされ、潤から離れたユキトは若者たちの間を縫って移動した。独りでたゆたっていたツインテール少女は、接近するユキトたちに気が付くとハッとし、ばつの悪い顔をしてかしこまった。

「Hi、無事だったんだね! 良かったよ~」

 ジョアンが右手を上げて声をかけると、少女はシルバーのシュシュでまとめられて膝裏辺りまで伸びた翼状のツインテールを揺らし、手を前で組みながらがばっと頭を下げた。

「ごめんなさいっ! あのときは逃げることで頭がいっぱいで……」

「いいよ! いいよ! 全っ然OKッ! ボクら、これっぽっちも気にしてないからッ!」

 チアリーダー並みに両手を振り回すジョアン――その脇でユキトはツインテール少女に熱視線を送り、後ろでは紗季が苦笑し、潤が冷ややかにたたずむ。上半月の潤んだ目、鼻筋が通った高い鼻、甘い果肉を思わせる唇、そして色あせたジャージの上下越しに控えめなアピールする肉感的な体が印象的なラテンアメリカ系の美少女は、ほころびかけたばかりのつぼみという雰囲気から異性を魅了する蜜の匂いをうっすらと漂わせていた。

「君は、ええと……」興奮するジョアンは、アドレスブックを検索した。「あ、あった! 新しく登録されてるっ! 名前は……」

「高峰ルルフ、17歳です。ちなみに……一応Seraphim(セラフィム)のメンバーです」

「Seraphim? Seraphimって、あのsuper bigでgreatなアイドルグループ?」

「うん。でも、ルルはまだ補欠のエッグチームだけど……」

「そうなの? でも、レギュラーメンバーに負けないくらいprettyだよ!――なぁ!」

「う、うん!」ユキトの声のトーンが上がる。「あの桜梨アムラとか澤井レヴィンとかと同じグループなんだね!」

「Seraphim……」潤が軽く腕を組み、反ったまつ毛の先をルルフに向ける。「アストラルによるワールド・アイドルグループね……だけど、エッグはあちこちの芸能事務所が取りあえず登録させている子ばっかり何万人もいるんでしょ。そもそもアストラルはデザれるのだから、ルックスがいいのは当たり前じゃない」

「本格的にアストラルをデザるのは、美容整形と同じくらい大金がかかるみたいね」と、紗季。「だけど、ここではみんな本当の容姿をさらされているらしいから、彼女は元からこれだけかわいいのね」

「どうでもいいけど、今はアイドルだとかって浮かれている状況じゃないと思うわ」

「そ、そうだよね」

 慌てて振り返ったユキトがへつらったとき、群れの外側から狂犬が罠にかかったようなわめき声が聞こえ、みんなの視線が一斉にそちらへ流れた。

「……この声……!」

 思い当たったユキトは人波を泳いで移動し、人垣越しに目を凝らした。死にかけの夕陽と焼け焦げた雲を背に、陰惨な気配漂う草原を揺らめきながら渡って来る小さな影――だんだんと大きく、はっきりとする対象に奥二重の目がむかれてつり上がり、赤黒く染まった顔がひび割れる。あのとき、自分をだまして金的をくらわせたぼさぼさブリーチ金髪の少年が、赤毛をサイドポニーテールにして左胸に流す長身のメガネ女子に右腕を後ろにひねり上げられ、無様にもがきながら引っ立てられていた。

「あいつ……!」

「あれ、あのときのbad boyじゃんか」

「知ってるの、あんたたち?」

「強盗よ」潤が、切って捨てるように言う。

「そうさ、僕らを襲ったクズだよっ!」

 身をよじり、わめき散らす金髪少年を拘束したメガネ女子は近くまで来ると足を止め、注目する若者たちを逆光で黒ずんだレンズの奥から見つめた。彫りが深く、整い過ぎた感がある目鼻立ちと一つになったブラックメタルフレームのソリッドなメガネ、すらりとした肢体とチャコールのテーラード・ジャケットにドレスシャツ、ぴっちりした黒のスキニーパンツ、レザーのショートブーツというファッションもあって彼女はモデルのように見え、黒のVネックTシャツにカーキのカーゴパンツ、黒のスポーツサンダルという格好で枷を外そうと暴れる金髪少年とコントラストをなして黄昏の草原に立つ姿は、どこか神話の魔物退治の一場面を連想させるものがあった

「どうしたんだ、いったい?」

 人垣をかき分けて新田が前に出、数歩隔てて荒れ狂う金髪少年を、そしてマネキン然としたメガネ女子を見つめる。

「――君は、ええと……」

「後藤アンジェラと申します。詳しくはアドレスブックにご登録の上、ご確認下さい」

 チェスの駒を動かすように言い、グレーの瞳がレンズ越しにアドレスブックをチェックする新田を映す。

「……後藤アンジェラ、21歳……イングランド系日本人……」

「皇成大学四年生、国際学部在籍です。――」

 ワールドで開催された大学のゼミに出席しているときに強制転送された、と後藤は続けた。今日、シミュレーテッドされたその時代の臨場感とともに文学や歴史を、様々な地域や国の学生と交流しながら文化や言語を、よりリアルに数学や物理を学ぶといったことが一般的になっており、アクセスさえできれば現実には距離がある学校の授業に出席できるシステムは、教育の地域格差是正にも役立っていた。

「……そうか。それで、その子はどうしたんだ?」

「樹海でいきなり襲って来たので、捕らえて連行していたのです。野放しにはしておけませんので」

「すごいね。格闘技か何かやっているの?」

「はい、護身術を少々」

 新田は隣に出て来た佐伯と顔を見合わせ、観衆を振り返ってユキトと潤を呼び寄せた。

「斯波君と加賀美さんを襲ったのは、この子か?」

「そうです!」

 新田と冷然とした潤の間から金髪少年をにらみつけ、ユキトはガチガチに固めた鋼の右こぶしを胸の辺りまで上げて言った。

「ああッ? なんだテメー?」

 敵意むき出しの相手にガンを飛ばした金髪少年は、それがちょっと前に襲った相手だと気付いてせせら笑った。

「――あぁ、テメーか。キンタマはツブれてねーのかよ?」

「お前ッ!」

 後ろで見ていた紗季が「ええっ?」と恥じらい、濃い眉を八の字にして首筋を指でコリコリかくジョアンの横でルルフがぱちぱち瞬きをする。他の者たちはどういうことだろうかと言葉を交わし、無表情のまま立つ潤の隣で顔を紅潮させ、鋼の右こぶしをわなわなと震わせるユキトに注目した。

「――バカにしやがってッ!」

「落ち着け、斯波君!」

 つかみかかろうとするのを止められ、ユキトは新田の右腕越しに怒りの炎と黒煙を立ちのぼらせた。

「へっ、ヤンのかよ? コンドはマジでキンタマツブす――ォぐあッ!」

「黙りなさい」

 後藤がひねり上げた右腕に力を入れ、金髪少年の顔を苦痛でゆがめる。

「――こンの、メガネババアァッ!」

「しつけがなっていないわね」

 蔑みこもるシャープなまなざしが、金髪少年を冷たく射る。芸術的なほど端正な姿形ゆえに、彼女の言動はいっそう厳しい印象を見る者に与えた。

「……貴様、名前は何と言う?」腕組みをした佐伯が、新田の左隣から金髪少年に問う。

「ふん、シンドウ・リュウイチだよ」

「そうか。だったら、それが本当かどうかアドレスブックで証明してみろ」

「はン、なんでテメーらなんかにショーニンしてもらわなきゃなんねェーんだよ?」

 佐伯のつり上がった眉が鯉口を切り、下げられた右手がイジゲンポケットから現れた抜き身の日本刀を握る。見物人の群れがどよめき、新田が慌てるのに構わず、佐伯はモンスターの血臭が残る刀の切っ先を金髪少年の挑戦的な鼻先に突き付けた。

「へっ、こんなモンでビビるとおもってんのか、クソボーズ?」

「佐伯君!」新田が佐伯の右腕をつかむ。「そこまでする必要はないだろう?」

「こいつは他人に危害を加えるような輩。厳しい態度で臨む必要があると思いますが」

「やり方が乱暴じゃないか! 取り調べるにしたって、もう少し穏便な方法があるはずだ!」

 新田は佐伯に刀を下げさせ、金髪少年に名前を教えてくれないかと優しく言ったが、プイと顔をそむけられただけだった。その態度に群衆の中から不快感を表すざわめきが起こり、そして怒りをたぎらせた声が飛んだ。

「ふん、どうせイジンだろ、そのガキ」

 佐伯が立つ側の人垣の最前列――金髪少年を右斜めからにらみつける、やや細身の少年が視線を集める。焦げ茶色のすさんだくせ毛、頬骨が張った偏屈そうな顔の眉間に刻まれた縦しわが呪わしげに燃やすまなざし――黒Tシャツの上に着たくたびれた黒のロングパーカーのポケットに両手を深く突っ込み、インディゴブルーのジーンズをはいた脚を中途半端に開き、黒レザーのショートブーツを流れる草の葉にざらざらこすられる年長の少年を検索したユキトは、それが矢萩あすろ、19歳だと知った。

「こんなクソが日本人のはずない。イジンに決まってんだよ……!」

 矢萩は眉間の亀裂を底無しに深め、いびつに曲がった唇を尖らせた。

「ンだ、テメー? だったら、どうだってんだよ?」

「やっぱりイジンかよ……!」

「ああ、そーだよ。オレは、チュウゴクけいイジンのシン・リュソンさまだ! おぼえとけ、このパーマザルッ!」

「このクソガキ……イジンのくせに!」

「おいっ!」新田が矢萩に向き直る。「そんなふうに呼んで差別するなんて、恥ずかしいと思わないのか?」

「うるせえな、良識ぶりやがって……!」

「君……!」

「俺は、イジンが大嫌いなんだよッ! 文句あんのかッッ!」

 曇天はどんどん闇に侵され、地平に残っていた夕陽の残滓が薄れていく。薄ら寒い夜に蝕まれながら揺らめき、知性の無い原生生物のようにのろのろ流動する世界で、若者たちは矢萩が吐き捨てた憎悪に立ち尽くした。と、そのとき――

「もう、やめてや~」

 悲鳴に近い声が上がり、ジュリアが懸命に人をかき分けて飛び出す。くしゃくしゃしたピンク髪の少女は新田の右斜め後ろに立ち、遅れて最前列まで出て来たエリーがおろおろしているのを背に後藤に拘束されたシンを、それから佐伯と矢萩を今にも土砂降りしそうな目で見た。

「どうしてなかようでけへんの? ケンカしたらあかんやろ?」

「何だ、お前は?」

 刺々しく言った矢萩はアドレスブックを検索し、「吉原ジュリア……フィリピン系のイジンか。おかしな関西弁使いやがって……!」と舌打ちすると、握り固めた右手をポケットから出して怒鳴った。

「――引っ込んでろ、イジンのクソガキッ!」

「いい加減にして下さいッ!」

 前に出た紗季が後ろからジュリアの両肩に手を置き、矢萩をにらむと一同に訴えた。

「――あたしたち、力を合わせなきゃいけないでしょ? なのに、どうしてこんなことやってるのよっ!」

「篠沢さんの言う通りだ」新田が若者たちを見回す。「集まってもらったのは団結して危険から身を守り、このゾーンから出る方法を探すためだ。いがみ合うためじゃない」

 新田は皆を諭し、シンの前で中腰になって視線の高さを合わせた。

「シン・リュソン君、君は斯波君たちや後藤さんに謝らなければいけないと思う。だが、今ここで押し問答をしてはいられない。ともかく、このゾーンから出るまで力を合わせよう」

「イヤだね。だれがなかよくなんてするかよ」

「仲良くしなくてもいい。だけど、君だって危険から身を守るには独りじゃない方がいいだろう? このゾーンにはモンスターがたくさんうろついているし、この先何が起きるか分からないんだから」

「アンタのいうことはもっともだよ。けど、やっぱノーだな」

 一重まぶたの目をそらすシンをじっと見つめた新田は、後藤にひねり上げている右腕を放してくれるように頼んだ。

「解放しろとおっしゃるのですか?」

「ああ。責任は俺が持つよ」

 きっぱり言う新田に、後藤は少し間をおいてから右手を放すやシンを前に突き飛ばした。よろけた体を新田に受け止められたシンは、右腕をさすって後藤にすごんだ。

「おぼえてやがれよ、メガネババア……!」

「覚悟があるのなら、好きにしなさい」

 ほこりを払うように言った後藤はライトンを起動させ、ヘブンズ・アイズを開いて3Dマップに表示される流動の動きやモンスターの位置をチェックしてから新田に意見した。

「もうじき陽が沈んでしまいます。ここはモンスターが多く生息する樹海に近過ぎますから、どこかに移動してはどうでしょうか」

「うん、そうだな」

「うち、もうつかれたわぁ」

 ジュリアが紗季のそばで草の上にぺたんと座り、エジプトサンダルを履いた足をぽーんと投げ出す。それを見たユキトはふうっと意識がぼやけ、体がクラゲになって倒れそうになった。不安定な空間と息詰まる緊張の連続、絶体絶命と命がけの死闘、そして下生えが絡み、張り出した木の根がつまずかせようとする地を歩き続けて精も根も尽き果てた疲労困憊の体は、今にも失神してしまいそうだった。

「あ、あの、新田さん」後ろからエリーが遠慮がちに呼ぶ。「こっちに向かっていたグループからの連絡で……」

「ん? どうかしたのかい?」

「その、ここから南西の方に遺跡みたいなものを発見したそうです……」

「遺跡?」

 新田はコネクトで遺跡のことを知らせてきたグループと連絡を取り、ヘブンズ・アイズをチェックした。すると、ついさっきまでマップ上ではただの平地だった場所にひょうたん形をした巨石積みの遺跡が表示されていた。マップデータ更新はアドレスブック相互登録で新田やエリーとつながっている者たちのところでも起こり、若者たちはそれぞれヘブンズ・アイズを開いて遺跡とやらを確かめた。

「……結構広いな」新田が自分のあごを右手で撫でる。「町が二つ三つ収まりそうだ……モンスターの反応は無いみたいだけど……――ワン、ここはどういう場所なんだ?」

 上空に浮かんでいたワンがひゅうっと新田の頭上に滑って来て、そこはコンコルディという古代の丘砦跡だと教えた。

『――コンコルディ遺跡は、《フェイス・スポット》上にあります。休息にはもってこいでしょう』

「フェイス・スポット?」

『流動の影響を受けにくい特別な場のことです。こうした場所はあちこちにあります』

「質問!」紗季が勢いよく挙手する。「この遺跡、罠とかあるんじゃないでしょうね?」

「確かに……」ジョアンが腕組みし、ルルフの隣でウンウンうなずく。「この手のゲームって、遺跡にボスモンスターがいたりtrapが仕掛けてあったりするもんな」

『それに関しては、お答え致しかねます』

「またそれか。ホンット、spiteだな」

「静かに! みんな、聞いてくれ!」

 新田が両手を上げてパンパンと叩き、ざわついた若者たちを静める。

「――後藤さんが言うように、ここで夜を過ごすのはハイリスクだと思う。他のグループとの合流も兼ねて行ってみようじゃないか。これだけ数がいれば、何かあったとしても協力して乗り切れるはずだ」

 異論を唱える者はいなかった。一番の年長で社会人でもあること、妥当な考えだと思えること、そして先の見えない不安が誰かに頼りたい気持ちを強くさせていた。

「――よし、決まりだ。――エリーちゃん、まだ合流していない人たちへのコールは続けているよね?」

「は、はい、やっています」

「ありがとう。――みんなも継続してくれているね?」

 問いに、「もちろん」とか「続けているよ」といった答えがあちこちから返る。シンのことで一悶着している間もコネクトは作成されたメッセージをバック・グラウンドで繰り返し発信し、キャッチした相手からの返信をメッセージ・ボックスにためていた。新田は遺跡への移動をメッセージに付け加えるよう指示すると、起動したライトンのブタ鼻を点灯させ、薄闇に光の筋を伸ばしながら先頭に立って引率し始めた。若者たちは彼に倣ってライトンを点灯させ、後に付いて夜陰に染められながら気まぐれに流れる空間をぞろぞろ歩いた。紗季はジュリアを立たせて背中を押している間に、ジョアンはルルフにくっついているうちに人の流れに隔てられ、潤と並んで半ば無意識に歩くユキトから離れてしまった。

「頼りになるわね、新田さんて」

「え?……」

 突然の感想に疲労で頭が鈍っていたユキトは言葉が見つからず、もさもさ反芻するうちに自分が比べられていると感じて苦みを覚えた。

「……ああ、そうだね」

 ふてくされた心情がにじむ声を聞き、潤はユキトの左手の甲にそっと右手の指を触れさせた。

「潤……?」

「……握ってもらってもいい?」

「う、うん、もちろんだけど……」

「……不安なの……」

 ライトンの光が無ければ飲み込まれ、さらわれてしまいそうな薄闇の流れにさみしげな目を沈め、潤は胸のスカーフやミニスカートの裾を揺らしながらつぶやくように言った。そのはかなげな横顔と、求める指の冷たさにほだされ、ユキトは手を握った。

「……僕が握っていてあげるよ。どこにも流されないように」

「ありがとう……ユキトだってなれるわよ。新田さんみたいに」

「そ、そうかな……」

「そうよ」

「……そうだね。やってみるよ、僕」

 白い蛇にも見える指を絡めた潤に、ユキトは自分を必要としている少女を守れるよう、そして恐ろしい呪いから逃れられるようにと密かに切望した。

【――私たちは、コンコルディ遺跡へ移動を始めました。新田さんを先頭に、佐伯さん、後藤さん、篠沢さん、ジュリアちゃん……そして、みんなから少し離れてシン・リュソンさんも付いて来てくれました。こうしてそろったのです。過酷な運命の交響曲を奏でる主要メンバーが……――】