(――て、天使?)
ユキトがそう錯覚したのも無理はなかった。木々が無秩序に茂り合い、幹をいびつにくねらせる揺らめきから浮かび上がる人影――その頭から黄金の翼が生え、羽ばたきながら樹海の薄暗がりを淡く照らすように見えたのだから。
(……お、女の……子……? ツインテールの――)
ぼやけていた像が次第にはっきりし、ユキトの瞳に少しずつ大きく映るハイティーン・ガールの疾走に合わせて躍動するブロンド――左右の耳の上でシルバーのシュシュにまとめられた髪の先が膝裏に十分かかる長さのツインテール、それがきらめく翼の正体だった。虎に追われるウサギのごとく一目散に走って来る南米系の風貌をしたツインテール少女は、色あせた紫のジャージ上下に履き古したスニーカーというどこか貧しげな身なりだったが、十数メートルの距離を越えて網膜に焼き付けられるコケットな美貌――なまめかしいあえぎ顏と揺れる胸、グラビアを飾れるルックスがユキトの視線を釘付けにして鋼のこぶしを無意識に下げさせ、その横に立つジョアンを見とれさせた。
「――止まりなさい!」
ぼんやりしているユキトたちの間から潤がマジックダガーを振り、氷柱をツインテール少女の前に撃ち込んで急停止させる。
「――ちょっ、ジュンっ、violentだなッ!」
「だって、危険人物かもしれないのよ?」
「だけど、相手はangelだよ!」
「は?」
「い、いや、その、つまり、あんなにlovelyでbeautifulなんだから、もうちょっとfriendlyにさ――」
潤と混乱気味のジョアンとのやり取りでユキトは我に返り、一方7,8メートル向こうのツインテール少女は足元に突き刺さった50センチほどの氷柱に目を丸くしながら息を切らし、3人を見て瞬きすると唾をごくっと飲み込んだ。
「――げた方が……い……わよ……――」
「えっ?」
聞き返すユキトだったが、ツインテール少女は3人を避けて前のめりに走り出し、待ちなさいと呼び止める潤を無視して深緑の揺らめきに消えてしまった。
「……どうしたんだよ、彼女?」
目を奪われていたユキトは宙に浮かぶワンを仰ぎ見、そして眉をひそめた。
「――って、お前に聞くだけ無駄か」
『おっしゃる通りです』
にらむユキトの耳にメキメキメキッとへし折れる幹の絶叫が飛び込み、ヘブンズ・アイズの画面上に真っ赤な【WARNING】表示が現れてけたたましい警告音が響く。驚いてマップを確認したユキトは、自分たちのところに新たな白い光点、そして、それにくっついてモンスターを表す赤い光点が三つ接近していることに動揺した。
「モ、モンスター? モンスターがこっちに来るッ!」
「えっ、really、ユキト?」
「本当だわ。もうそこまで来ている!」
『警告します』ワンがきらめく。『モンスターとの接触まで、約30秒です』
「このUnknown、モンスターに追われている……? 彼女はこれから逃げていたのか……――おい、ワン! このモンスターは僕たちでも勝てるのか? それも教えてくれないのかよっ!」
『未遭遇のモンスターに関する情報は提供できません』
「おい、何でそうcoldなんだよ!」
『過剰なサポートは致しかねます』
「もういい! お前なんかに頼らないッ!」
1人だったら逃げ出していただろうが、これ以上潤にだらしないところを見せたくないユキトは左手の平で顔の汗を拭い、半ばやけっぱちに2人の前に出てモンスターが迫る方に身構えた。
「ユキト、battleのか?」
「そ、そうだよ。誰かが追っかけられて危ないんだし……」
「だけど、あの子があれだけ必死に逃げていたのよ。私たちに倒せるかしら?」
「……こっちは3人いるし、追いかけられている人も入れれば4人になる。やれるさ、きっと……」
「……OK、やってやろうぜ」
「……分かったわ」
不安げな同意を得たユキトが流れる落ち葉と下生えを踏み締め、ナックル・ガントレットの右こぶしを固めると、淵から浮かび上がるような影が行く手を阻む木々をなぎ倒し、地面を蹴立てるひづめの音をだんだん高く響かせる。
(……びくびくすることはないんだ。しょせんこれはゲームだし、僕らは金目当てにさらわれたんだから、この体――アストラルがひどいことになったりしないはず……!)
『――接触まであと10秒。ご注意下さい』
ワンがきらめき、揺らめく影がユキトの倍近くに膨れ上がって視線を上向かせ、ひづめの音が減速し――
(――なッ?)
飛び出したかぎ爪が電柱ほどの太さの幹に食い込み、灰色の甲殻で固めた右巨腕が強引に脇へ押しのけてへし折る。もがくように周りの同胞へ枝葉をぶつけ、半狂乱にわめきながら倒れる大木――
(――でっ、でかッ!……)
がく然と見上げるユキトたちの前に立ち塞がる、背中が曲がった巨獣――皮膚からとげを生やした肉食恐竜と筋骨隆々の巨人を合体させたかのようなグレーの巨躯、甲殻が前腕からかぎ爪が生える指まで覆う両腕、ジャッキを思わせる巨馬の後脚に似た両下肢とひづめ、頭の左右からずんと突き出たかぎ状の太い角、血肉に飢えた獣性がぎらつく双眸――圧倒される3人の左右に同種の怪物が邪魔な木々を蹴散らして回り込み、10メートル弱隔てた三方から猛るエンジン音さながらのうなりを上げて不ぞろいの牙をむき出した。
「――か、囲まれたぞ、ボクら!」
「わ、分かってるッ!」
「見て、あれッ!」
潤が悲鳴に近い声を上げて指差したときには、ユキトとジョアンも正面の怪物の左手、大蛇のように伸びて絡みついた4本の指が外骨格とかぎ爪を食い込ませる物体――血溜まりを拭いたぼろ雑巾並みに汚れ、糸がたるんでだらりとしたマリオネットのようなものに気付いていた。
衣服と肉体がずたぼろの、血まみれの青年――
おそらく、引きずられて足首が折れたのだろう。爪先をありえない方に曲げた青年は、声に反応して垂れていた頭をがくがくもたげ、血で汚れた唇を震わせた。
「……だ……だ、ず……げ……」
息も絶え絶えに助けが求められ、緊縛を逃れていた右手がユキトたちの方へ力無く伸びる。だが、その動きに刺激されたかぎ爪が肉にズグッと食い込み、指に締め上げられる体が骨の砕ける音を立てて握り潰されたアルミ缶のように変形する。戦慄するユキトたちの耳に断末魔の叫びを響かせた青年の体――アストラルは光のちりになり、煙のように立ちのぼりながら消滅した。
「……ア、アストラルが、lostした?……」
「な、何が……?――お、おい!」
ユキトは揺らめきに消える光を凝視し、ワンを呼んだ。
「――どういうことなんだ? あの人のアストラルはどこに行ったんだよっ!」
『彼――平瀬稜のアストラルは、消滅しました』
「……魂が、消滅した……?」
青ざめた潤がかすれ声でつぶやく頭上で、ワンは無情にきらめいた。
『敵は、グリゴ・デオ3体。今のあなた方が勝利できる可能性は0.06パーセント。逃げることは、ほぼ不可能です』
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